イタリアの経済中心地であるミラノ。
そんなミラノは、華やかでリッチ(だった)。
特に、2008年のリーマンショックまでは。
その後は。
失業率も高く、不景気ながらも、歴史や文化の奥深さからか、元々、ミラノ、ミラネーゼに根付く豊かささえ、感じられることも少なくなく。
ファッションの発信地として世界中で有名なミラノでは、毎年シーズンごとに、ファッションショーなど、たくさんの華やかなイベントが行われる。
”ミラノファッションウイーク”である。
毎回、モデルや芸能人、有名人、そして世界中から、ファッション業界の人々がミラノへ集結する。そんな1週間の、ミラノ中心街は、交通渋滞が激しく、地元の者としては、ミラノへ他の用事などがあるときは、ファッションウイークは避けるほど。
2020年、2月21日。
COVID 19(コロナウイルス)に感染した最初のイタリア人患者が、ミラノから69キロ離れた、コドーニョという町で見つかった。その日、即、コドーニョが閉鎖された。そして、ミラノで新たな感染者が発表されたのが、数時間後のこと。
それは忘れもしない。
その週は、ちょうど、ミラノファッションウイークが行われていた。そして、たまたま、私はその1週間、メイドインイタリーの某有名ブランドのミラノ本社で働いていた。
本社へも、中国を含め、世界中からの関係者もたくさん来ていた。
パンデミックとなること、そして、イタリアで、更に、経済中心地であるミラノ、ベルガモがある、ここロンバルディア州で、第二次世界大戦時、1940年~1945年の5年間の死亡者数の7倍を超える14,000人以上が、2か月で亡くなる、この現実を、当時、誰も想定していなかったことでしょう。
ミラノの象徴であるミラノ大聖堂(Duomo)。
1386年に建設開始され、完成されたのが、400年後の1813年に完成された、ミラノ大聖堂。
ミラノ大聖堂は、美しく。
どの季節も、昼も夜も、それぞれ違うエレガントさを見せる。
第一段階とも言われる、この2か月のロックダウン。すべてが止まり。
人のいないミラノが報道され、人のいない大聖堂前のピアッツァ(広場)を見るのは、とても違和感があり、寂しげでもあり、またそんな非現実な空間にある大聖堂は、いつもと違うようで、変わらない美しさを放ち。
約2か月のロックダウンを終え、今週月曜、5月4日から、イタリア的に言うと、ウイルスとの共存、第二段階へと突入した。イタリアで重要な、自動車業界、ファッション業界を中心に、稼働している。そして、州内での移動は、必要最低限の範囲でできるようになった。それは、家族に会うこと。マスク着用は、必須。家族や親戚に会ってもよいが、会うだけで、親戚”たち”で集まってはいけない、という、つまり、食事などは、できない。
お店は、5月18日から開店可能。
飲食店、美容院、床屋は、6月1日から。
飲食店は、デリバリーの他、テイクアウトに限り、今週から可能になっている。
イタリア政府、特に、演説、パフォーマンスが好きな現在のイタリア首相は、国民に対し、そして企業への援助も約束しているが、全く実行が伴っていないため、嘘つきの代名詞でもある、ピノキオとも呼ばれている。
飲食店だけに限らないが、この2か月働いていない間に膨れ上がった、店舗代、光熱費、サプライヤーからの請求書。店内で、2メートルのディスタンスを保つための段取り、そして、店内の消毒などの経費を計算すると、全く採算が合わず、店を開ける事をあきらめるところも少なくない。そして、経営者の自殺も増えている。
ウイルス危機から、経済危機へと。
それぞれの自覚、責任感が問われると言われる、第二段階が始まったばかりではあるが。
昨日のミラノ。
おしゃれな飲食店などがたくさんある、ナビッリ地区。
たくさんの若者たちが、ビールを飲んだり、友達たちと群れていたり。
その映像をみた、ミラノ市長。
今朝は、乱暴な言葉を使うほど、怒りを爆発させていました。
”経済を取り戻すために、働くために、ロックダウンが緩くなっただけだ!このウイルスの状況で、職を失い、日々食べるお金すらない人もいるんだ!無責任な行動をする人々が、増え続けるならば、ナビッリ地区を閉める!”
と。
まさに、ミラノ市長のおっしゃる通り。
今、ニュース番組で、ミラノの有名病院の医師が、やはり、昨日のミラノの若者たちについて怒りを隠しきれず。
健康と経済は繋がっていると。
健康でなければ、経済の発展は無理と。
当たり前のことだが、個人レベルでも、それは同じこと。健康でなければ、働けない。
これから、様々な姿を持つ、イタリア、ミラノから、感じることをお伝えしていければと思います。
どうぞよろしくお願いします。
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