約20年の事業は山あり谷ありの悲喜こもごもの人生だった気がする。全く顧客のあてもない顧客ゼロ社員ゼロからのスタートだった。自宅のリビングが会社である。朝食が済めばそこは会社になる。食卓が会社である。例え先々倒産の憂き目になっても脳みそや心臓までは手放すことは無いという意気込みで始めたがなかなか客からの注文は無い。お客からの電話がいつ鳴るか? そんな創業時の苦労から脱することが出来たのは、さがみはら産業創造センターに入居し、防犯業界にオリジナル商品を開発販売できてからだ。その後はリーマンショック時代を政府の休業補助金制度で凌ぎ、次の事業を試み、省エネ事業に乗り出した。2~3年は種まきの時代だったが遮熱フィルムに対して国交省が補助金を出す制度が発足し、大手の空調工事事業者から雨が降るかの如く受注を受け、社内的には対応力が不足し、労務問題にいたるまでに売り上げは増えた。さらには他の商材まで積極的に採用し、売上は益々拡大路線が続いたが異なる事情で会社を譲渡するようになった。この20年間一貫して作成し続けていたのが事業計画書である。事業計画書をその時々の変化を吹き込みながら針路を定め社員を引っ張ってきた。事業計画書をいかに経営の戦力に活用するかが事業成功の重要要因である。
top of page
bottom of page
Comments