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執筆者の写真丸子勝基

60年来の友人の話

私には中学時代からの友人で現在は渋谷でクリニックを営みながら日本学生相撲連盟の副会長で日体協スポーツドクターのH君がいる。

私の母は私を山形第一小学校から山形大学付属中学校に入れるために入学試験を受けさせた。その時、彼も同じく第四小学校からの受験生だった。この入学試験では二人とも失敗したというより、二人とも補欠に残ったのです。

それがわかったのは後日、欠員が一人出てしまったため再度補欠の生徒三人が(もう一人いた)集められた。この三人のうちの誰かが補欠入学できるのです。選考方法はくじ引きだった。良くは覚えていないがジャンケンではなかったはずだし、再試験でもなかった。結果的に彼が当たりくじを引き、まんまと補欠入学したのです。

私は母が熱望した付属中学の補欠入学の当たりくじにも恵まれず、山形中学校に入学し、始めたのは柔道でした。柔道部に入部し毎日のように汗まみれになって練習に励み、中学3年で主将になり、初段も取った。時々、練習試合の相手校は補欠入学できなかったあの付属中学でした。付属中学校の柔道部は強く、ひときわ大きく筋肉隆々の真田君がいた。彼とは試合になるといつも大将同士で良く組んだ。その他に目についたのはあの補欠入学したH君が柔道を同じように励んでいたことだ。そんな縁で友人になったH君から最近、電話がくる。

電話は長い。記憶力に長けていて話題も豊富。私の知らないことをどんどん話をしてくれる。その彼から彼の随筆「嘉納治五郎と相撲」が送られてきた。嘉納治五郎「精力善用 自他共栄」を信念にした柔道創始者である。この話の続きは次回にしたい。


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